六年生になった双忍のお話
2025828の日に。
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図書室へ本を返しに行くと、ちょうど図書委員会の後輩が集まっていた。
「あ、不破雷蔵先輩」
「雷蔵先輩、本のご返却ですか?」
明るい声が聞こえて僕は思わず微笑んだ。
後輩達に本を取り出すと慣れた手つきで返却処理をしてくれる。
「こちらは、雷蔵先輩が借りたものではないですね」
「あぁ、それは三郎の。返却期限だけど昨日から任務に出かけてるから僕が代わりに返しに来たんだ」
「いつものっすね……あっ、そうだ! 俺達これから食堂に行くところなんですけど先輩も一緒にいかがですか?」
こうして僕は後輩の良い子達に誘われて、昼食をとるために食堂へ向かうことになった。
中在家長次先輩のご卒業からしばらく経った今も、後輩達は別れの余韻を静かに抱えているようだ。こうして僕を見かけると、声をかけてきてくれる。何かと行動を共にしたがるようになった。僕も、こんな風に慕ってもらえるのが先輩として嬉しい。
いい匂いがしますねと二ノ坪怪士丸が声をかけてくる。その隣で能勢久作が「今日の昼は鯖焼きと生姜焼きかぁ」と呟いた。
「鯖は持久力に良いといいますから、僕は鯖にしますが、雷蔵先輩はどうされるのですか?」と能勢久作が問いかけてくる。
実に真面目な彼らしい選択だなぁと思う。
魚の焼けた香ばしくて良い匂いが廊下にまで流れて、確かに魚もいいなと思う。
メニュー表を見ると、鯖の隣に卵焼き付きという文字が目に入った。
「僕も鯖にするよ」
「雷蔵先輩、ホント迷わなくなりましたね」ときり丸がじっと不思議そうに見てくる。
「今日は僕は迷うというより匂いに負けたんだ。いい匂いに鯖の口になった」
「へぇ。ちゃんと理由もすぐに返ってくるところ、先輩も六年生なんだなぁ」
「おい、き、り、ま、る。失礼だぞ」とすかさず久作が言う。
「先輩、卵焼きもお好きですもんね」と怪士丸が微笑む。
僕のことを本当によく見てくれている図書委員会の良い子達との時間が今は一秒一秒が大事に思える。この光景はもうすぐ見納めになると思うと胸が押しつぶされそうになるから、あまり考えないことにした。
食堂のおばちゃんがお皿にのせてくれた定食の卵焼きをよく見ると何やら普通の卵焼きではなく、黄色い花と緑の葉が混じっている。
「菜の花かぁ。もう春なんですね」とおばちゃんに声を掛ける。
「そうだねえ。雷蔵くんもこういった食材で季節の移ろいをちゃんと感じられるようになったんだねえ」
「僕ももう六年生ですから」
「そうよねぇ。……もうすぐ卒業だなんて、信じられないわ」
「卒業してもおばちゃんの料理、たまには食べにきてもいいですか?」
「もちろんよ」というおばちゃんの顔は少し寂しそうだった。こうして僕も六年間、何人もの先輩が同じようにおばちゃんに、「卒業しても食べに来るからね」とか「また美味しいご飯食べさせてよ」なんて声をかけているのを見てきた。
けれど、その“また”がない先輩方もたくさんいる。
「ありがとうございます。あ、そうだ、おばちゃん。菜の花、三郎にも食べさせてやりたくて、持っていってやりたいんですけど」
「もちろんよ。包んでおくからあとで持っていってちょうだい」
「ありがとうございます」
今夜にはきっと帰るだろうから、夕時におひたしでも作ってやるか。
「ねぇ、ずっと聞いてみたかったこと、聞いてもいい?」
「はい、なんでしょう?」
「鉢屋くんのこと、本当はどう思っているの?」
「うーん、えっと……なんて。食堂のおばちゃん、不破雷蔵の気持ちは答えられませんが少なくとも俺は、もうずっと雷蔵一筋ですよ」
実は雷蔵の変装をした鉢屋三郎だった私はより一層、雷蔵と混じりあい、今日も今日とて完璧に演じきってみせた。
おばちゃんは甘味をお腹いっぱい食べた後のような満ち足りた顔をして「また鉢屋君にしてやられたわ」と微笑んだ。